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瀬戸内海で2番目に大きな島、「小豆島」 大和朝廷の建国以来、皇族との関りが深かったこの島を、現在から見つめ直し後世に語り継いで行きたい。
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  • 03/14/16:54

10.01.23:35

小豆島の歴史と神社

阿豆枳島(大野手比売)が誕生し、宇多天皇第4皇子“敦実親王領”を経て926年備前国肥土荘は石清水八幡宮領となり、富丘八幡神社は別宮とされてきた。これは、1339年佐々木信胤が渡来するまで続く。
肥土荘以外の尾水、池田、草加部荘は小豆嶋荘として、皇室の御領であった。そして八条院領となり「承久の変」後1223年安嘉門院領より領家職を九条家が知行していた。
現代の富丘八幡神社の駐車場からは、佐々木信胤の出城があったとされる高壷山、信胤の家臣になったであろう池田荘の豪族「須佐美一族」の城があったとされる城山が見えてとる。



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