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瀬戸内海で2番目に大きな島、「小豆島」 大和朝廷の建国以来、皇族との関りが深かったこの島を、現在から見つめ直し後世に語り継いで行きたい。
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04.25.19:55

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  • 04/25/19:55

07.10.12:22

豊受皇太神宮と五神座

 星ヶ城東峯に位置する豊受皇太神宮。
1806年 五神座を合祀し、再興したとある。
1823年 小豆島風土記に記載されている。
1848年 小豆嶋名所図会にも記載されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1806年以前には豊受皇太神宮だけが星ヶ城にあった様である。

では、五神座はいつ頃からあったのだろうか?

<五神座> ニニギ、アメノコヤネ、フトダマ、アメノミナカヌシ、タカミムスビ である。

実は良く似た神が他にもいました。

<五伴緒> (ニニギ)、アメノコヤネ、フトダマ、アメノウズメ、イシコリドメ、タマノヤ である。

これは、アマテラスの命によりニニギと伴に天孫降臨した神である。

<五所王子>アマテラス、アメノホシホミミ、ニニギ、ホオリ、ウガヤフキアエズ 

こちらは、熊野十二所権現である。

こうして見比べると、五座神は五伴緒に近く祀られた感じは受けるが、もう一神:カミムスビが
祀られていると、造化三神が揃っていたかもしれません。

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04.27.14:02

熊野十二所権現

 「熊野十二所権現」は三所権現、五所王子、四所明神から成り立っている。
前回の「若一王子」は五所王子の一つであった。
熊野十二所権現には本地仏がある。これは平安時代に成立した、”神仏習合”思想で
日本の神々は仏が化身して権現であるとする考えである。

【熊野十二所権現】 ※神の名は「記紀」によって変わるためカタカナ表示
 
          <三所権現>        <本地仏>

    西御前  イザナミ            千手観音
    中御前  イザナギ            薬師如来
    證証殿  ケツミコ(スサノオ)      阿弥陀如来

          <五所王子>

    若宮    アマテラス          十一面観音 *若一王子
    禅児宮  アメノホシホミミ       地蔵菩薩
    聖宮    ニニギ             龍樹菩薩
    児宮    ホオリ(山幸彦)       如意輪観音
    子守宮  ウガヤフキアエズ      聖観音

          <四所明神>

    一万十万 カグツチ           文殊・普賢菩薩
    米持金剛 ハニヤス           毘沙門天
    飛行夜叉 ミズハノメ          不動明王
    十五所   ワクムスビ          釈迦如来


                                      以下次号

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04.23.09:04

若一王子

 五座神の神々を見て、どこかで見たような感じのまま数日が経っていました。
そして、「小豆嶋名所図会」の目次に目を通していると、旧内海町草壁に、
「若一王子社」と記載があった。
そこを抜粋してみると…。
「若一王子権現祠・三宝荒神社」
 ともに清見寺の門前西の方にあり。と、あった。
では、「若一王子」とは?
<熊野十二所権現>の五所王子の一つである。
   
        以下次号

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04.22.07:06

五座神

 東峯「豊受皇太宮」が星ヶ城の元宮で、五座神から
合祀したと有る。では、合祀した神は次のとおり…。

①天御中主神(アメノミナカヌシノカミ) → 天津神社(妙見)と同じ
②瓊々杵尊(ニニギ)
③天児屋根命(アメノコヤネ) → 春日神社(中山)と同じ
④高皇産霊尊(タカミムスビ) → 日方荒神社(高木神)と同じ
⑤天太玉命(アマノフトダマ)

であったようで、西峯「阿豆枳神社」には
⑥罔象女神(ミヅハノメ)が合祀されている。

以下次号

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04.21.11:04

小豆島太神宮

0413d22bjpeg 熊野信仰と小豆島に関するものを調べてみるが、その後あまり
発展せずにいました。
再度、原点に返ろうと思い「聖なる島」の抜粋部分を読んでいると…。
“小豆島最高峰「星ヶ城」に<小豆島皇太神宮>が江戸時代に鎮座していた。
「小豆島風土記」に西峯「阿豆記枳神社」と東峯「豊受皇太神宮」があり、
文化3年7月に再興した。・・・・”云々と続く。
その後に“東峯の五神座も星ヶ城より西六、七町歩のところより遷座した。
しかし、東峯「豊受皇太神宮」は元から鎮座していたもので五神座を合祀したものと
思われる。”と記述されていた。
ここで疑問!
①星ヶ城には、西峯「阿豆記枳神社」より前に東峯「豊受皇太神宮」があった。
②合祀した五神座は?
 これより次号へ

*写真は中山の熊野三社権現

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12.15.15:15

幻の山伏寺院2

 前記の様に那智大社の熊野信仰が小豆島に多く存在する中、
池田に当山派の寺院があったという。「竜源院」「来宝院」である。
こちらも現存していない寺院で、真言密教系で醍醐三宝院に管轄されていた。
主として熊野三山の修験道が幅をきかせてた小豆島でも二派に分立していた
ようである。

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12.07.15:08

幻の山伏寺院

 前記の通り、小豆島に多く存在した那智大社の壇徒が山伏寺院として
天台宗密教系聖護院が管轄した、草壁の寺院で「玉泉院」「玉蔵院」が江戸中期明細帳に
記載されている。両寺院のご本尊は「不動明王」であり、「当島山伏頭」とされている。
しかし、両院とも幕末の「小豆島名所図会」に記載がないので、その頃までに廃寺となったと
推測される。

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