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瀬戸内海で2番目に大きな島、「小豆島」 大和朝廷の建国以来、皇族との関りが深かったこの島を、現在から見つめ直し後世に語り継いで行きたい。
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  • 03/29/23:11

12.17.10:52

③造化三神を祀る神社

田井の妙見神社は、唯一造化三神を祀る神社であり、室町後期に再建した棟札が有り、富丘八幡神社と亀山八幡宮を結び、その線に対して60°の位置にある。造化三神とは天地と万物を創造した日本神話の根元神で、「天之御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」の三柱を指す。
この神社の口伝によると、神功皇后伝説がある。
又、修験道とも関係があり「役行者」像も有る。
特殊神事も行われていたと有る。




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10.06.23:27

②小豆島唯一の八幡宮

池田亀山八幡宮。前記の富丘八幡神社より直線にて約3.6㌔に位置し、鉢伏山(城山)の麓にある。祭神は富丘八幡神社と同じく応神天皇・神功皇后・姫太神であり、内海/葺田八幡神社と異なる。縁起では924年石清水八幡宮より勧請とあるが、 敦実親王御領である、池田・尾水・草加部荘の八幡神社が石清水八幡宮領となった富丘八幡神社と同年勧請とはどうも考えにくい。
967年敦実親王の没後~1141年八条院御領となる間の174年間の資料が無いためハッキリとしない。 
敦実親王は宇多源氏の祖であり、子の源 雅信(左大臣)の娘、倫子は藤原道長の妻で987年道長は備前権守を兼務している。
池田町史などによると、池田荘地頭:須佐美氏は「北条の頃よりこの地に居住する」とあり、1221年頃と思われる。


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10.02.10:04

①小豆島最初の八幡神社

京都男山石清水八幡宮の別宮であったこの富丘八幡神社は 場所的にも阿豆枳嶋の中心的役割ももっていたのではないかと感じとれる神社です。本殿以外にも本殿右の若宮社、後方の五宮神社で成されている。又、本殿前にある石馬は脚が三本折れており伝説では、よなよな麓の森田へ下りて稲を荒らし回り、困った百姓が叩き折ったとされている石馬であるその後稲の被害はなくなったという。そして、この地は全山古墳群でもあり、山頂からは銅鏡も発見されており今は、富丘古墳神として祀られている。(経塚でもある)



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10.01.23:35

小豆島の歴史と神社

阿豆枳島(大野手比売)が誕生し、宇多天皇第4皇子“敦実親王領”を経て926年備前国肥土荘は石清水八幡宮領となり、富丘八幡神社は別宮とされてきた。これは、1339年佐々木信胤が渡来するまで続く。
肥土荘以外の尾水、池田、草加部荘は小豆嶋荘として、皇室の御領であった。そして八条院領となり「承久の変」後1223年安嘉門院領より領家職を九条家が知行していた。
現代の富丘八幡神社の駐車場からは、佐々木信胤の出城があったとされる高壷山、信胤の家臣になったであろう池田荘の豪族「須佐美一族」の城があったとされる城山が見えてとる。



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