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瀬戸内海で2番目に大きな島、「小豆島」 大和朝廷の建国以来、皇族との関りが深かったこの島を、現在から見つめ直し後世に語り継いで行きたい。
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  • 04/26/22:36

03.31.18:58

豊受皇太神宮


小豆島・小豆島町 星ケ城東峯
祭神:豊受比売命、五神座

「小豆島風土記」(1823年)によると、小豆島最高峰「星ケ城」東峯に
[豊受皇太神宮]が鎮座していたとある。
西峯の[阿豆枳島神社]が遷座する前よりあり、その後、五神座も5・6km程
離れた場所から、東峯に遷座し、豊受皇太神宮と合祀したとある。
その、五神座は、(天御中主神・ニニギ尊・天児屋根命・高皇産霊尊・天太玉命)である。

豊受比売命は、天照大神と共に稲作の豊饒を司る神として崇敬されている。

187.jpg


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東経134゜19’4.8”

オリーブ探検隊のブログ、面白く読まさせていただきました。東経と緯度のラインの不思議も本当に不思議ですね。星ケ城の東経ラインを小豆島を超えてずーっと北まで、またずーっと南まで見てみました。恐ろしくなってきました。ちなみに空海が修行した西安の緯度は34゜16’ぐらいのようですね。まあ、これはたまたまでしょうが。

:東経134゜19’4.8”
コメントありがとうございます。
まだ、東経を南北にずっとは辿ってないんですが、新しく情報をいただければ
幸いです。距離と天文学、特に「夏至」「冬至」の太陽の方向は大切だったと聞きます。島内にも三角点を結ぶと「二等辺三角形」「正三角形」でつながる場所も多くあるのも面白いところです。不定期更新ですが、たまに立ち寄ってください。
2011/10/26 07:38

神社の配置

神社はパワー・スポットに建てられているという話があります。そういう面は確かにありますが、同時に遙か昔の人が測量しながら、季節の基準の天文とか、国土面積の測定などいろんな意味を持って三角法と同時に気の流れ(気脈)という二つの法則に従って順次建てられたと思われます。今でも敏感な人は気の流れを見ることが出来ます。
今の国土測定は三角法だけですが、昔はそれと共に気脈も大事な要素だったのでしょう。最初の頃の神社は今のような大がかりな神社では無かったかも知れません。東西南北の直線や三角形上にあるというのが不思議なのではなく、元々そういうふうに建てられたのでしょう。国土測定の三角法は特定の技術者集団による秘技として門外不出とされ、庶民には神社の御利益とか神様とか、そういう面だけが強調されて残っているのかも知れません。古代測量技術者集団が消えたとき、その技術や意味が記録から消えたのかも知れません。というか、そういうものは個人伝承秘技なので記録されなかったのかも知れません。そういう測量技術は渡来族のひとつの秦一族の中の一部集団が持っていたのかも知れませんね。遙か昔の天狗という存在がその特別な役割を背負っていて、天狗はその技術が漏れるのを防ぐため、庶民と交流することは許されなかったのかも知れません。そのため天狗は庶民にとって山の中を走りまくる不思議な存在として伝承されているかも知れません。天狗が印を付けたところに神社建設の大工が神社を建てていった。秋祭りでも天狗の姿をした人が先頭に立つようです。「どうして、ここに天狗がいるの?」と不思議な気がしますが、かつてはそういう特別な存在だったのでしょう。以上のような仮説を立ててみると分かりやすくなります。天狗という言葉も、テングリ、テングルという天とか天の神様というのが語源かも知れません。それは天文が分かっていたからかも知れませんね~?

神社の配置
素敵なコメントありがとうございます。
「気脈」「秦一族」「天狗」楽しいキーワードです。
祭りの先導は「猿田彦」と考えますが、地図上ではかなりのラインが
出てきます。いつも不思議に思う事があるんです。「小豆島」が古来より
朝廷との関りが多かったのは分かりますが、何故、これだけの「神社」建設にいたったかが謎です。もちろん「民間信仰」の流れからある神社もありますが、「石清水八幡宮」からの勧請より5社の「八幡神社」5社の「妙見」、「玉姫」「八坂」等など多岐に渡ってます。そして「小豆島八十八ヵ所」やっぱり不思議です。
2011/11/03 10:02

小豆島のエネルギー

猿田彦は渡来族の先遣隊として日本列島に入ってきた一族という説があります。猿田彦が天照大神を先導して伊勢の場所に連れてきたと。神道の世界では猿田彦の神は天照大神より古い神様なのです。猿田彦族(その一部が天狗となっている)は先遣隊として日本列島を入り調査(測量)してそれから本隊を導いたのでしょう。もちろん気のエネルギーも測定していたのでしょう。
小豆島は本当に不思議な島ですが、気のエネルギーがとても高い島です。それは海から岩山(寒霞渓)が急激に高くなっていることと関係します。ヒマラヤに多くのヨーガ行者がおり、いろんな悟った人が生まれるのは、ヒマラヤという急激に高くなっいているヒマラヤという巨大な岩山と関係します。気のエネルギーと岩はとても密接な関係があります。空海が悟ったのも高知の岩の洞窟の中でした。マホメットが神の声を聞いたのも岩の洞窟の中でした。古代はエジプト、マヤ、インカなどを含めてほとんどが石の文化です。日本にも多くの石の遺跡があります。気のエネルギーを受け、神と感応する、またそのエネルギーが体内に入ることで健康になるという要素もあります。
小豆島が神道も仏教も、そしてキリスト教も小豆島を日本のメッカにしようとしていました。キリスト教御法度令が出て小豆島から長崎、熊本へと流れていきましたが。元々、キリスト教のメッカにしようと考えたのは瀬戸内海航路の中心という地理的要素だけではありません。神と感応しやすいエネルギーがあるからです。小豆島の人間はそれが分からない。魚は自分が海の中を泳いでいるということを知らないのと同じですね。魚は海という存在を知らないのです。人間に釣られて始めて海という存在を知ることになります。小豆島はエネルギーが湧き出ているスポットがたくさんあるのでしょうね~?水のスポットに井戸が出来、エネルギースポットに祠が置かれる。

黄金比

ご存じかも知れませんが、こういうことに気がついている人がやはりいるんですね。
日本は世界のひな形という説がありますが、小豆島は日本のひな形かも?まあ、それは考えすぎですが。古代においても測量技術無くしてこういうことはあり得ないですね。
「黄金比の世界: 美しき神々の座」
堀江洋之著
黄金比から見える、古人の情念。古墳・神社・霊峰。古人の聖地を結ぶ線...「神の比例」と呼ばれる「黄金比0.618」に秘められた太陽神信仰の想いを大胆な推理で解明する。

黄金比
何やら面白いですね♪
黄金比ですか・・・。五亡星もそうですかね?
しっかり、勉強させていただきます。
2011/11/04 18:36

岩山

そういえばシナイ山も急激に立ち上がっている岩山ですね。キリスト教宣教師も海から寒霞渓や星ヶ城を見て、シナイ山を彷彿させたのかも?そして「ここがいい!ここを日本のシナイ山にしよう」と。

  • 2011年11月04日金
  • 編集

黄金比

現代でもアフリカのマサイ族やモンゴル遊牧民は視力が5から6あります。その視力による識別能力は驚嘆に値します。昔の日本人や渡来人もそれぐらいの視力が当然あったと考えられます。1500年前や1800年前では今のような鏡はありませんでした。あったのは銅鏡ですね。銅鏡を使って太陽の光を反射させて方角を確認していたと推測できます。おそらく30~50km先でも見えたのではないでしょうか?天狗達が山の上で確認し合いながら順次、印しを置いていった。法螺貝もそういうお互いの情報伝達手段だったのでしょう。そのように測定した場所が祠であり、神社に発展していったと仮説を立てられます。だから直線や直角三角形になったり、同心円上になるわけですね。
そしてそれらに神を置くことで現地の住人がその印しを壊さないし、大事に守ってくれる。西の海神神社から順次東に向かって測定してきたときに小豆島にぶつかります。当然、瀬戸内海の測定の拠点になったと考えられます。そのために神社や祠が多いのかも???
以上、神の世界を取り除いて考えた時の仮説です。これにどう神様がどう絡んでくるかが思案のしどころですね。
近畿地方でも神社などが東西南北線上に一直線になっていたり直角三角形になっているのは有名な話ですね。
太陽が真上に来たときに銅鏡を傾けて太陽光を反射させることで東西南北を示すことができるし、直角や特定の角度を確認することができます。そのようにして日本列島をくまなく測定していったと推測が可能ですね。
黄金比はいろんなところで出てきますね。小説のダビンチ・コードにも出てきますね。
黄金比とは建築上の安定性、美的美しさを作り出す比とかありますが、もっと違う意味もあるのかもしれません。たとえば気のエネルギーを増幅するとか?

黄金比
分かりやすい説明で楽しくなります。
今も小豆島の地図とにらめっこしてます!(笑)
「オウム貝」の形に神社がないか?否か等とやってみてます。
銅鏡、銅鐸を使っての測量はあったと確信します。後は、冬至・夏至のライン
との組み合わせも重要なんでしょうね?


2011/11/05 23:13

応神天皇

神社は日本中どこも南北・東西の直線で繋がっているようです。当然三角形にも繋がる。
小豆島には応神天皇が訪れたという記念碑や伝説がたくさんありますが、応神天皇の代理が応神天皇の印(御旗?)を持って小豆島に上陸して三角測量したのではないかと仮説を立ててみました。そして自らその記念碑を基準として設置していった。その代理とは秦氏(天狗を含む)の測量技術者集団ですね。島の人間は天皇なんか見たこと無い訳ですから、遠くからその一団を見て、「あそこに応神天皇が来ているらしい」と噂した。なんせ当時の島の人たちは天皇なんか実際に見たこと無いわけですから。「応神天皇(代理)が来ているから畏れ多いので近づくな!」と命令されれば、「おー、有り難い、有り難い」と言って遠くから拝んだ。そうすると小豆島の辺鄙なところにそういう伝説(記念碑と神社)が残っている理由が説明できますね。
応神天皇の時代に急に陵の大きさが大きくなったと本に書かれています。それは秦氏の測量技術が入ったからですね。

応神天皇2

応神天皇の時代に秦氏が大量(5千人~1万人規模)に移民(渡来)してきたが、やはり民族が一度に移民するのは怖いですね。略奪、殺戮されるかも知れないから。大陸ではしばしばそういう目に遭っているし。そのため大量移民の前に調査隊を送り込んだ。それが猿田彦(天狗)集団ですね。だから天狗が祭りで先頭に立って秦氏集団(太鼓や御神輿で表される)を先導する形で継承されているのかも?
モンゴル帝国のモンゴル人は中国の管理のために中国人ではなく計数管理に明るいペルシャ人を大量に使った。それと同じように朝廷は秦氏を重用し秦氏の技術や国家管理手法を採用したかも?それが神社システム?祭りは素晴らしいものですが、同時に住民を管理してまとめるとても良い方法です。また集団一致行動という軍事訓練にもなるし。何はともあれ、結果として今の日本は本当に素晴らしい国になりました。祭りでみんなが楽しんで集落がまとまり、争いごとが祭りで昇華されるのですから。秋のふとん太鼓祭りの姿は、日本において人類の理想郷が作られている証左ですね。その姿は秦氏や天皇の理想だったのかも知れません。

応神天皇2
我々も「応神天皇小豆島巡幸」は伝説として楽しんでます。
讃岐高松には「秦氏」と密接な関係があったと認識し、「佐々木信胤」が
小豆島に入るまで南北朝時代までは「天領」としてあったと思います。
しかし、この小さな島に何故、5社もの八幡神社が必要になったのか?
と、最大の謎として、「古事記」にも云われる「小豆島の神:大野手比売」が
福井県「阿疑須波神社」の祭神として祀られています。少なからず、小豆島より立派な造りです。そこは知りたい所なんですね…。
2011/11/09 08:12

測量は神事かも?

相撲が神事であるように、かつては測量も神事だったのではないでしょうか?神様のお造りになった大地を測量することは畏れ多いので、予め神様をお呼びして、神様から許可を貰ってから測定した。そこが神社や祠になった。神社と山の頂上との関連性を見てみるといくつでも直角三角形ができます。私がちょっと見ただけで7つ、8つ見つかりました。三角測量が行われていた明らかな証拠ですね。
ニュートンの科学論文はニュートンが書いた論文の内、5%ぐらいにしか過ぎません。95%は神に関する論文です。後の世で科学の基本になる5%の論文も実はニュートンにとっては神様の世界を知る研究の一部だったのです。ニュートンにとってはすべてが神の世界を知る行為だったのです。それと同じで測量も神の世界に立ち入る行為だったのです。曲玉もそれに糸をつるして垂直方向を作る道具だったのかも?丸い穴をあける物質としてちょうど良かった。昔は竜とか、狐と狸とかが見える人が多かったのではないでしょうか?今でもそういうのが見える人がいますが。銅鏡の表というか裏というか、一面に彫られた模様は、測量行為を邪魔する霊的存在に対して霊的な清めか、それとも霊的封じのためなのかもしれませんね。曲玉の形もそうなのかもしれません。今は神の世界と科学の世界は分離していますが、昔はすべて神の世界だったのです。うーん、それにしてもどうしてこういうことが私の頭の中に浮かんでくるのだろう?

秦氏

小豆島に八幡神社や他の神社が多いと思いますが、日本全国に八幡神社は1万とも2万ともあると言われています。やはり対馬と壱岐がポイントですね。小豆島よりほんのちょっと小さい壱岐には約150社が登録されているそうで、まるで神社で島の防御線を張っているみたいです。彼らは大陸で迫害や殺戮を受けてきた民族として迫害を受けないためのノウハウを少しずつ身につけてきた。それは現地の神様の衣を着る(カモフラージュ)ということですね。対馬や壱岐は日本列島に入る前の研修場所だったかも?特に女、子供をポンと移住させられないですよね、怖くて。対馬や壱岐で1年とか5年とか日本列島の言葉や文化を身につけさせてから段階的に九州に上陸した。たとえば日本人の100万人がアメリカに移住するとして、日本人という一括でなく、香川県グループ、東京グループ、北海道グループとかに別れて動くと思うんですよね。秦氏も同じようにいろんなグループが存在したと考えられます。そのグループごとに神様の名前を変えた。八幡さんグループ、稲荷グループ、八坂グループなどと。それぞれのグループの祈りの場所が壱岐や対馬の神社になっているかも?おそらく対馬や壱岐の神社は直線や直角にはなっていないと思います。そして小豆島は壱岐とほぼ同じ大きさなので、彼らにとって何となく居心地が良かったのではないでしょうか?
神社というのは測量点であると同時に結界を結ぶ点にもなっているのでしょう。
旧日本人である縄文人は何でも楽しいもの、良いものをそのまま理屈抜きで受け入れる性質があったかも?それは今の日本人も受け継いでいて、キリスト教徒でないのにクリスマスを祝い、教会で結婚し、バレンタインでチョコレートを上げ、ハワイのフラダンスの人口より日本でフラダンスを踊る人口の方が多く、またフラメンコも本場スペインより日本人の方が趣味として踊る人が多い聞きます。儒教も仏教もキリスト教も西洋芸術もピュアーな部分を素直に受け入れ、共産主義も受け入れ、何でも受け入れて同化してしまう、また同化させてしまう国民性を持っています。クリスマスが日本文化として拡がったように、かつて秦氏の祭りが日本人に同化しながら拡がったのかも?本によると中国はあれほどお金が動いていても、西洋美術館は一ヶ所もないそうです。日本にはあらゆる所に西洋美術館がある。これも日本人が違うものを受け入れて理解する性質を持っているからですね。秦氏一族も日本列島で技術と知識を評価され、平和な形で仲間として受け入れられていつの間にか日本人の中に融け込んでしまった。
どこの民族も二千年、三千年と民族性というのは変わらないようです。
八幡さんの祭りって何だろう?と考え、小豆島おもしろ草子にぶつかり、ここまでいろいろ思索してみました。秋祭りは、五穀豊穣を祝うというのが理由ですが、きっとそれは建前ですね。裏にいろん理由があるのでしょう。そして日本には日本人には伺い知れないいろんな秘密が隠されているのかも?そしてその秘密は誰も分からなくなってしまったのかも?なぜなら、すべてが日本人の中に同化してしまったから。そして五穀豊穣を祝うというのが建前から本当の理由になってしまった?

神様

ただ縄文時代の神様は、戦いに負け、歴史から消されてしまいました。そして古神道(今の表現)に変わって神道に置き換わった。鳥取大山の大神山神社の宮司さん(らしき人)が言っていました。「こないだの戦争で・・・」。こないだの戦争といえば太平洋戦争と思いきや、なんと三千年前の「ヤマトタケル」との戦争のことを「こないだの戦争」と言っていました。三千年前の戦争をまるで昨日のことのように話していました。もちろんそういう話は門外不出だそうです。(神社年鑑には当たり障りのない神社説明がされている。)神社の外では決して語られることがない。それもたまたま訪ねた私だけに、何となく気が向いて話してくれたのかも知れません。そのように鳥取の地元の人もまったく知らない物語を私は聞いたことがあります。
国譲りして縄文の神様は隠居しました。その神様の隠居場所が出雲大社だそうです。それまではここにいたと。ここには1万2千年前からの歴史があると。「????」でした。何はともあれ、日本は不思議の国です。神様だらけの島です。日本ほど宗教施設(神社、お寺、お地蔵さん、祠など)がある国はありません。小豆島はその最たるものです。それは霊的エネルギーが高いからです。魚は海の存在を知らないと書きましたが、「日本人は日本を知らない」ですね。日本は本当に素晴らしい国です。その中で愚痴と文句と不平を言う日本人と言うことでしょうか?

壱岐

推測が間違っていました。壱岐も直角三角形だらけでした。

同鉾

今日、池袋の本屋で生まれて初めて銅鏡と銅鉾の詳しい写真を古代史コーナーで見ました。そんな写真自体を見るのは中学の歴史の授業以来かも?
両方とも100%三角測量器具ですね。私は銅鉾の使い方も説明できます。なぜあのように円錐台形をしているかも説明できます。もし、銅鉾の丸い穴に銅鏡が水平にちょうどすっぽり入ればもう200%ですね。銅鏡もきちんと方角を示すコンパスになっていますね。銅鏡の真ん中の丸い山を中心にして方向を計るのです。銅鉾は中点の太陽に対して垂直および直角に立て、山の高さを計るための角度を見るものですね。銅鉾を使った測定技法は特定の氏族の技術なので戦争に負け、滅びるときにすべて土の中に埋め、技術を消したのでしょう。
日本では山だらけなので水平線や地平線はありません。基準になる方向は太陽の真昼の中点と北極星だけです。夜は測定できないので、昼の中点の太陽を基準にして、その線を正確に大地に引くために銅鉾があります。銅鉾と一緒に付いている棒は音を鳴らすためのものでなく、紐をつけて銅鉾を垂直に立てるためのものですね。そして大地に線を引いたり、銅鏡の示す角度方向を延長させるものですね。
どうして学者はそんなことが分からないのだろう?私のようにど素人が見て、パッと思いつくのに。

楽しいです!
ここまで全て読ませていただきました。実に楽しいですね。以前、レイラインをたどってみた時、対馬と小豆島は関連があるように思いました。
銅鐸も測量用と書かれたのを見たことがあります。銅鏡までは思いもしませんでした。確かに「小豆島」にも銅鐸と銅鏡は出土してますし、その様に使われていたとしてもなんら不思議に思いません。何故なら、一番古い八幡神社(富丘八幡神社)が古墳群の山頂にあり、その古墳より「銅鏡」が出土しています。今なお手付かずの部分もあるようです。そこは「肥土荘」と云われ「石清水八幡領」であったとされる所です。その地区に「大鐸」(おおぬで)地区という場所が今もあり、その八幡神社の別離宮があった場所です。
2011/11/10 22:40

銅鐸

はははは、銅鉾でなく銅鐸でしたね。小学校の時、漢字テストができなくていつも残されて漢字の補習を受けさせられていた。いつまで経っても漢字は苦手です。
銅鐸の内側も銅鏡と同じで磨いて太陽の光を反射させて、径の連続変化する凹面筒鏡の形になっているので、太陽の反射光が大地の特定の場所に直線になる。その線を太陽の方向と一致させると正確な南北線を大地に書けることになる。その光の反射直線の上を棒で引くということです。その上に銅鏡を置いて、山や祠などの角度を測るという手法ですね。
そのとき銅鐸自体のエッジは東西に向いている。南北と東西の線が同時に正確にできることになる。まあ、銅鐸の丸い穴を通して遠くの山のてっぺんとかで照らしている別の銅鏡の太陽反射光を見る穴としても使う。銅鏡というのはどれくらい光の反射率があったのかな~?
これ、考古学の博士論文に匹敵するかも?

銅鐸の形

インターネットで写真を見ると、銅鐸というのは丸いんですね。半割のような形だと思っていました。太陽光を反射させてというのは私の推測間違いです。地面に立てて穴のある下の平面に銅鏡を置いて角度を測ったということだと思います。

銅鐸の使い方修正

銅鐸を吊すような丸い穴は、銅鐸を中天の(南天というかも?)太陽の光が穴を通して、その銅鐸の写る陰の中に光る。その丸い光の中心と銅鐸の中心を結べば南北線になる。その線を棒で引いて置くと南北線がいつでも正確にあることになる。また銅鐸からその丸い光の距離によって季節が分かる。季節によって太陽の角度が違うから。そして銅鐸の上に銅鏡の表面を上にして水平方向の角度を測定する。

  • 2011年11月11日金
  • 編集

無題

地図の持ち出しは江戸時代でも打ち首だったはず。地図というのは国防上、トップシークレツトだった。まして地図の作り方となるとさらにトップシークレツトだった。古代では地図を頭の中に記憶した。そうすれば秘密は守られる。だからそういうことは記録に無い。銅鐸は日本のある一族のみのノウハウだったんでしょうね~。銅鐸は応神天皇以前のようだから、あらかじめ日本に来ていた猿田彦一派かな~?先遣隊というのは今と違って100年、200年単位のものだろうから。昔は道無き山の中を進んでいたのだから、正確な方向確認というのはとても大事だったはず。銅鏡というのは方向を正確に示す手持ちの道具でもあったかも?そういう使い方の分からない人が手にしたとき、銅鏡というのを魔除けの道具にしたり、あの世との霊的交信の道具にしたり、自分を映す道具にしたりして、いろんな使い方に発展したのではないでしょうか?確かに鏡というのも霊的な不思議な役割を果たすようです。特殊な条件で使うとあの世の人と交信するのにも使えるようですから。三角測量としての使い方が歴史から消されたとき、神社ではそういう霊的交信のために使用されたかも?ただ鏡を神社の正面に向けて置くのは測量の名残かも知れませんね。もちろん邪気封じでもあるのかも知れませんが。どうも昔から神社やお寺の鏡の存在が疑問でした。今も疑問ですが。

  • 2011年11月11日金
  • 島の旅人さん
  • 編集

埋められた銅鐸

銅鐸をインターネットで調べていると、銅鐸は他の埋葬品と違って単独に山などに埋められていると。測量にある程度使用したらその場の大地の神様に奉納したのではないでしょうか?だから人間の死者の埋葬品にはならなかった。測量は神事だと解釈すると、そういう仮説も成り立ちます。

銅剣

「荒神谷遺跡 銅剣358本のうち344本のなかご部分に「×」印が刻まれていました。その印がある例は荒神谷遺跡と隣在する加茂岩倉遺跡から出土したものだけです。」と書かれています。銅剣と言われているものも測量の道具だったのでは?そうするとX印の意味も出てきますね。剣にしては手で持つところが短すぎる。その部分は土の中に埋めて、真っ直ぐに立てるためのものでは?
太鼓祭りの原点を調べてみようと思っただけなのに、こんなところまで話が進んでしまった。

思考

太鼓祭りで検索していたら「小豆島おもしろ草子」をたまたま見つけて面白く読んでしまったために、私の考えもしなかった範囲まで頭の思考が進んでいってしまった。
それにしても銅剣を見て、手で持つには根元が短すぎる。そこに木を繋いでも短すぎてすぐに外れる、剣として安定しない、真ん中の棒の部分は剣として使用するには不自然とか、なぜ専門家は考えないのだろう?私にとっては、そういうことは私の思考と生活の範囲外の問題ですが、一葉さんの文章を読んでしまったためにこんなこと考えるようになった。ははははは。

祓い

中国の銅剣は剣ですね。両手で握れるようになっている。朝鮮半島の銅剣は日本の銅剣と同じ形になっている。剣を作るなら中国の剣と同じになるはず。でないと人を切るとき、剣同士でぶつかる時に刃こぼれしてしまう。銅矛というのも剣のようだけど、なんか疑問。土地の邪気を払うときに今でも日本刀で行う方法があります。銅矛というのは測量前に邪気を払うためのものだったのかも?東京ディズニーランド建設の前に、ある宮司さんのお払いがありました。それは日本刀で行ったと思います。そういえば、日本の銅剣で人を切った形跡のあるものはあるのだろうか?人を切ったときの刃こぼれとか、血のりの後とか?鉄剣が入ってきて戦争になって銅剣、銅矛、銅鐸は地図制作(測量)という一族の秘密保持のために埋めたと考えられますね。

銅鏡

銅鏡に刻まれている小さな三角の数を数えました。108のもの、その倍の216になりました。非常に正確に刻まれています。ラフなもので正確な8等分ですね。円周を1/108または1/216で測定していたことになります。108という数字にビックリしました。その108の意味をインターネットで検索したら、「(インドでは)「108」は「万物」とされ、とても神聖な数字と考えられています。」「インドのシヴァ神の聖数である108が由来です。」とありました。108の原点はこれですね。

なお神社や祠の神様は、シャーマン(当時)が神懸かりになって、降りてきた神様の名前を聞いて測量の許可を貰ったとも考えられますし、または意図する特定の神様を下ろして祠に守り神として入って貰った。今は、神様の本宮に行ってお札を貰ってくる方法でしょうが。昔はいちいち貰いに行けなかっと考えられますから。

  • 2011年11月13日日
  • 編集

福井県池田

福井県池田町と熱田神宮を結ぶ直線は、皇居-富士山-伊勢-高野山(-室戸-土佐清水)のレイラインに直角になりますね。おおざっぱな見方ですが・・・。これはただの偶然かも知れませんが・・・。地図を見ていると福井県に金比羅山もあるんですね~。

  • 2011年11月14日月
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金比羅山も繋がるかも?

福井県の池田と小豆島の池田と讃岐の金比羅山が一直線のような気がしますが?
北前船と関係があるような気もしますが、福井県の池田町というネームングになった年代と福井県池田町に須波阿須疑神社が建った年代を考慮する必要があるかも?ですね。

  • 2011年11月14日月
  • 編集

諏訪大社との関係

当然、ご存知だと思いますが、須波阿須疑神社と諏訪大社と伊勢神宮は二等辺三角形ですね。須波阿須疑神社と伊勢との距離と須波阿須疑神社と諏訪大社との距離が同じですね。恐るべし!まるで幽体離脱して距離を測っているみたいです。日本中、神様だらけにレイラインだらけですね。

  • 2011年11月14日月
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いざなぎ神社も富士宮も

たびたび、ひつこくメールです。うるさいな~とお思いでしょうが・・・。伊勢から同じ距離を西に伸ばすと淡路島のいざなぎ神社になります。すなわち、いざなぎ神社と伊勢神宮と諏訪大社と須波阿須疑神社が平行四角形(菱形)になります。これはどこかの本にも載っているだろうと思いますが静岡県富士宮と諏訪大社を繋げた線は富士山から伊勢神宮への線と直角になります。いったい、日本という国は何なんでしょうか?須波阿須疑神社は意外に重要な神社かも?

  • 2011年11月14日月
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椿(猿田彦)神社

須波阿須疑神社から伊勢神宮への直線上に四日市の椿神社(猿田彦神社)が乗るようです!

  • 2011年11月15日火
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三種の神器

銅鏡は方向測定器と書きました。同時に東西南北に正確にキトラ古墳に描かれているところの結界を張る4種の神様を下ろす位置指示器にもなります。銅剣は方向を見るときの道具と書きました。同時に場を祓い清める刀にもなります。
そうすると、もう一つの神器である勾玉の理由はひとつしかありません。それはそこに神様を下ろす道具です。勾玉は韓国の国旗にも使われている陰陽を意味するところのオタマジャクシの形をしています。あの形にはきっとそんな意味があるのかも?

  • 2011年11月15日火
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勾玉

勾玉の穴に糸を通して指からつり下げて、勾玉を銅鏡の中心の丸い山の真上につり下げて、シャーマンがフーチのように勾玉が回転する方向や揺れる方向、止まったときの勾玉の方向にによって神事を決めていたのかも?
それは測量の時にも使い、村の問題を決める時にも使う神器だったのかも?銅矛は今の測量の時に測量される地点で立てる棒の役割ですね、きっと。今の人は、それならただの棒で良いではないかと思うかも知れませんが、神事なのですから。祓うために刀が付いている。それにしても勾玉の形は精子が泳ぐ形から来ているのだろうか?それは謎ですね。

  • 2011年11月15日火
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福井県池田町

福井県の池田町が小豆島の池田町から名前を取ったのは「円融天皇」(在位969-984)の時代のようですから北前船の時代とは違いますね~。それに北前船なら海側の港近くに神社を建てると思います。港に小豆島北前船の碑はあるそうですが。

  • 2011年11月15日火
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またまた

もう終わりにしようと思っても閃いて調べたら次の結果が。
鳥取県大山の中にある大神山神社(国譲りする前に日本の神様が住んでいたというところ)と淡路島の伊弉諾神宮を結んだ直線は伊弉諾神宮から須波阿須疑神社を結んだ直線と直角になります。
地図を物差しで測ると
須波阿須疑神社から諏訪大社87ミリ、
須波阿須疑神社から伊勢神宮87ミリ、
淡路伊勢神宮から伊弉諾神宮87ミリ、ですが、
伊弉諾神宮から大神山神社は83ミリです。
87ミリと83ミリ、距離は正確には一致しないけれど近い。
どちらにしても驚くべき結果です。
大神山神社から須波阿須疑神社まで137ミリ。137を83で割ると、
1.65。黄金比の1.618に近くなる。
うーん、これは考えすぎ。たまたまです。

  • 2011年11月15日火
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またまたまた

須波阿須疑神社、伊弉諾神宮と高野山、須波阿須疑神社、伊勢神宮と春日大社もほぼ直角三角形が出来ます。須波阿須疑神社が小豆島の神様を祀り、小豆島の池田から名前を取って地名変更したには訳がありそうですね。それも970~980年代でしょう。小豆島に、須波阿須疑神社がレイラインの要になるようなミニサイズがあるのかも知れませんね。また壱岐と小豆島の関係も何かあるかも知れません。たとえば相似形で神社が配列されているとか?日本の神社配列はナスカの地上絵どころではないですね。

  • 2011年11月16日水
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興味津々!
仕事の関係上、中々返信が出来ずに申し訳ありません!
内容に圧巻して読ませていただきました。
神社のレイラインはまだまだ謎多くですね。銅鏡・銅鐸と勾玉・・・。
測量機器説には興味津々で読ませていただきました。
少し思うに、「勾玉」=「オウムガイ」≒黄金比は無茶ですよね?
2011/11/16 09:57

勾玉の形

「大事なものは目立たないところに隠せ、それもさりげなく」が基本のようですから、須波阿須疑神社がそんな役割が、は考え過ぎかな?
勾玉は胎児の成長途中の形と同じですね。勾玉の形(魚の形)に胎児が成長したときに人間の魂が空から飛んできて入るのかも知れませんね。魂が入る形は、すなわち神様が入る形として考えたとしても不思議は無いですね。昔の人は、そういうことを霊視、透視出来る人が多かったでしょうから。もちろんそれが出来る人がシャーマンになった。今でも恐るべき透視能力のある人がいます。でもそういう本物の人はマスコミに決して出てきません。マスコミやテレビに出てくる人は、大抵偽物か低レベルです。空手でも初段や二段ぐらいの人は、「こんなに出来るぞ」と人に見せびらかせたくなるのとおなじですね。

  • 2011年11月16日水
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相似形

須波阿須疑神社から小豆島の池田まで直線上に山のてっぺんや神社がほぼ一直線に並んでいるようです。何気ない小さな神社も測量上の基準線に建てている、そういう意味があるのかも知れません。もっと驚くべきことは須波阿須疑神社とその直線上にある最初の神社との距離が小豆島・池田との距離の比率に正確に一致していることです。拡大地図から須波阿須疑神社と最初の神社ともうひとつの神社で作っている三角形を比率の小さい地図に重ねるとピタッと一致しました。驚くべきことです。須波阿須疑神社とともに小豆島がますます謎の存在になってきましたね。

  • 2011年11月17日木
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なんと!白山も!

須波阿須疑神社に空海が白山信仰のために立ち寄り、空海自らの手彫りの仏像があると社史にあるようです。で、小豆島・池田から須波阿須疑神社の線を延長すると、何と!白山にぶつかります!!!空海より前に須波阿須疑神社が出来ている訳ですから!白山信仰はかなり古いと考えられます。そうすると小豆島の神社はかなり古く、山岳修行の白山信仰の流れを受けて88ヶ所が出来たとも考えられますね。うーん、何と言うことだ!

  • 2011年11月17日木
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山岳信仰と小豆島

いえいえ、間違いました。小豆島には88ヶ所が出来る前から神道系山岳信仰は存在していたのです。それを後から88ヶ所に誰かが、空海の意を汲んでまとめ上げたということになりますね、きっと。空海が島に上陸した形跡は無いわけでしょう?自筆の書とか仏像とか。自分で回っていたら何かを残しているもんな~?

  • 2011年11月17日木
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空海

「空海が小豆島に・・・という」とか、何々と言われているという話だけなんだもんな~。船の風待ちなんかで、ただ立ち寄ったということはあり得るけれど・・・。
そして中国へ渡る前の無名の修業時代に小豆島でも山岳修行したということも考えられるけれど、考えられるというだけのこと。事実はどこにも残っていない。

  • 2011年11月17日木
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石鎚山もぶつかる

須波阿須疑神社から小豆島・池田を通って金比羅山にぶつかると書きました。その先に行くと愛媛県・石鎚山のほぼてっぺんにぶつかります。石鎚山も空海が修行したと言われている。その先に行くと九州の高千穂の近くに行く。不思議だな~!

  • 2011年11月17日木
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無題

線を東北に延ばすと白山は書きました。さらに妙高山、飯豊山となり、終着点は大神宮山という所にたどり着きます。分度器を持っていない、大きな日本地図を持っていないので、パソコンから地図をプリントアウトして貼り合わせてしているので、私の測定誤差がありますので、概ねということですが。
それにしても誰がそんなことを、と疑問に思いますが、朝鮮半島の人々にそんな測量技術があったはずはないし、中国でも漢民族には存在しない。ペルシャ系である始皇帝(漢民族ではない)グループなのか、ピラミッド建設に従事したユダヤ系(秦氏系)なのか、どちらにしても紀元前後から入り始めたであろう中東からの渡来人の流れしか考えられない。
まず日本列島の把握のために猿田彦グループが入り、測量した。400年前後に日本列島の状況を確認した秦氏が大量に入ってきた。
日本より先に行くところは何もない。日本列島が彼らの終着点であり、日本列島の縄文文化を伝え聞いた彼らの元々の目的が日本というユートピアを目指したのかも知れない?
私は、「すべての文化は日本にたどり着く」と言っています。日本はすべての文化の終着点なのです。そしてこれから、その終着点が出発点になるのだと思っています。そのはじめがアニメなのかも知れませんね~?最終的には平和文化が。
この三千年、略奪文化が世界を席巻していました。中国やアメリカはまだ略奪文化の中にいます。中国は略奪文化の最終ランナーかも?
なにはともあれ、須波阿須疑神社は日本列島の気脈の要(扇の要のように)なのかも?小豆島は重要な二つの気脈の交差点ですね。扇の要というのは目立たない存在ですよね。大事なんだけどその存在を意識しない。もうひとつの重要な気脈は富士山-伊勢-高千穂へと結ぶ線でしょうね~?
だいぶ、答えに近づいてきたかも?

  • 2011年11月18日金
  • 島の旅人さん
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「凄い!」
大変な内容になりましたね!一葉さんとも話しますが、小豆島の神道の基本は、熊野信仰と考えます。又、「空海=弘法大師」は讃岐佐伯が出生との事で、小豆島山岳霊場は関りのある方が開祖したと考えます。「行基」の名も出ますがどうなのか?ですね。神仏習合の時に、山岳霊場に金山毘古を祀った金刀比羅神社があります。元々は鉱業の神なのに何故?と思います!
私が思うに、備前国に属していたときに備前=長船(刀鍛冶)=材料=砂鉄を
小豆島山岳で採掘したのか?とも考えました!弘法大師も採掘技術を持っていたのではと思うのです。
2011/11/18 21:02

山岳修行

小豆島の神道は、この千年において熊野信仰なのでしょうが、元々は熊野も白山も区別が無いと思いますね。私の知っている人で、青森の岩木山(ここも修行の霊山)で修行して悟った人がいます。今は、日本中の重要な神社に行って、「封印されてきたエネルギーを解放しています」という話です。
山岳修行で悟る人は、ままいるみたいですね。山蔭神道(この山とは天皇、天皇の裏の神道という意味。天皇の行事とまったく同じ行事を同時にしている神道)の山蔭基久氏は若かりし頃、小豆島で修行したと言っていました。で、死病から救われて悟ったと。
本山博氏(皇踏山に神社がある)も小豆島だし。何かがあるんでしょうね~、小豆島には。

  • 2011年11月19日土
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様々な角度

伊勢神宮(内宮)から対馬・海神神社への線を基本線として、須波阿須疑神社に対する角度を調べて見ました。小豆島・池田(おそらく城山)からの角度39゜、淡路島・伊弉諾神宮からの角度49゜、京都・鞍馬山からの角度59゜、高野山金剛寺から69゜、三重県・那智神宮からの角度79゜、伊勢神宮からの角度-79゜でした!!!恐るべし!!!

  • 2011年11月22日火
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更に角度を調べると

宇佐神宮から29゜、壱岐の本宮山から19゜。????恐るべし!!!!
反対方向の富士山の神様を祀っている富士宮は-19.5゜!!!!

  • 2011年11月22日火
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インド古代数字

角度がそれぞれ10度ずつずれているのをインド古代数字の表現に修正すると、なんと!正確に3ずつずれていることになります。驚くべきことです。今は円周360度ですが、それを円周108度するとそうなります。108を360で割ると0.3に。これも出来過ぎ!

  • 2011年11月22日火
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黄金比

伊弉諾神宮から諏訪大社への距離は、伊勢神宮から富士山までの距離に黄金比1.618をかけた数字になります。この二つの線はほぼ平行となり、夏至の日の出の方向になります。夏至とか冬至の方向と言っても見えない遙かな距離だから、別の意味もあるのかも知れません。海神神社から冬至の日の出の方向が宇佐神宮になります。宇佐神宮から夏至の日の出方向が須波阿須疑神社になることが分かりました。冬至、夏至の方向もいろんな数字の中の一部でしかありません。

  • 2011年11月22日火
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測量

須波阿須疑神社への出発点になるのは亀山八幡ですね。亀山八幡と城山の頂上とグーグルの地図には載っていない鳥居のマークの場所が直角三角形になります。直角を含む一番短い線を一辺として正三角形を描き、そのもう一つの頂点と亀山神社の直角点を結び、その延長線が79mの山と須波阿須疑神社へと向かう線になります。角度は39゜です。測量は神社の中心とは限りません。なぜなら建物の中になるからです。
亀山八幡から東南東にある高さ112.4mの山への角度が-19゜です。須波阿須疑神社への方向を決めた正三角形の頂点をこの山に線を引くと緯度線になります。
げに恐ろしや。凄い測量をしているのが分かります。高さ79mの北東の山とこの112.4mの山を測量に利用しているのが分かります。それにしてもどうしてこんな計算が出来たのだろう?
どういう訳か、19゜、29゜、39゜、49゜・・・という9の付く角度が基本のようですね。大きい領域でも小さい領域でも。

  • 2011年11月22日火
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隠岐の島も関係が

対馬・海神神社から夏至の方向29゜の線を引くと隠岐の島にぶつかります。その西の島の北東外れに星神島という岩島があります。夏至の線に対して直角に線を引くと小豆島・池田の亀山八幡にぶつかります。その島から緯度線に直角に降ろすと愛媛県石鎚山にほぼぶつかります。これは偶然なんでしょうかね~?

  • 2011年11月23日水
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地殻変動と直角三角形

多くの神社は活断層の上に建てられているという話があります。地震がそこから起きないように?また活断層は気のエネルギーが高いです。神社は気のエネルギーの高い所に建てられていると昔から言われています。日本の山脈、山の連続性の方向と神社の方向と相関があるようです。造山活動(火山活動)に方向性と角度、距離の比率にも法則性があるようです(地球の回転と火山の爆発の時間的規則性から生まれる)。山同士が作る直角三角形も造山活動の法則性から生まれるようです。最初は神様の仕業か、人間の山の改造かと思ったのですが(高さは少しは人間が測量のために調整しているようです)、自然の法則に人間が相似形で合わしていると思われます。直角三角形は気のエネルギーが高くなる形だと教わりました。その地域の気のエネルギーを高めるために神社同士をそのように配置する。もちろん測量にとっても基本です。
人間にとって分からないことは、ついつい神秘と捉えますが、今は理解できないだけで科学的な理由が結構あるものですね。

  • 2011年11月26日土
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humu humu!
「ふむふむ」としか云う様しかありません!
豆さんは「測量士」か何かですが?よく調べられましたね!<驚
以前、「一葉さん」も言われてました。今回の東日本大震災で津波の被害に
あった宮城県の大きな神社は1箇所で、それは、明治に移転させたと・・・。
私も「小豆島」の地図上で、いろいろ線を引いても「池田・亀山八幡宮」が
中心になると見ています。確かに南北朝時代に「佐々木信胤」が来る以前に城山に「豪族・須佐美家」が統治していたと思われます。
一葉さんの説では「周参見」ではないか?との・・・。
何かありそうですね?
2011/11/27 09:26

神社は科学

インドの聖者「マハリシ」(もう亡くなっている)に私の知人が15年くらい前に会って来ました。マハリシが言うには「人類の知恵のすべては日本の神道と中国のタオ(道教)にある」と。この一ヶ月神社の配列を調べての結論は、「神社は科学である」と。本山博氏は気を科学として研究しています。ちなみに私は測量士ではありません。ミクロの世界の光学屋です。sin、cos、tanの世界ですね。まあ、別な見方をするとミクロの世界の測量士かも?

  • 2011年11月28日月
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小豆島の形

小豆島の形って、一本角を持った狛犬が思いっ切り口を開けて噛み付こうとしているようみも見えますね。池田湾が口を開けている状態で、亀山八幡の場所がのどの入り口、伊喜末の半島が角に。三都半島の小さな出っ張りが犬歯で。そう見ると須波阿須疑神社との線も面白い表現になりますね。

  • 2011年11月29日火
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小豆島の形
おぉぉ!見えなくも無いですね!(笑)子牛の形と良く言われますが、一角狛犬ですか・・・。そういえば、二面の誓願寺の妙見さんにその狛犬が居ます!
私は、最近、小豆島の形は「犬」に見えてました!(笑)
2011/11/29 23:50

直角三角形

三笠山-星ケ城-儉(山辺)岨山、段山-儉(山辺)岨山、大深山-皇踏山-高壺山、千羽ケ嶽-同雲山-堀越東の山、それぞれ直角三角形になりますね。直角三角形は自然法則でもあると推測し始めました。
実は日本中の都市も直角三角形、正三角形などが出来るのが分かりました。神社だけでないのです。山も都市も神社も相似形というか、同じ構造なんです。都市は特に東北で顕著に直角三角形がたくさん出来ます。関西、四国、九州でも出来ます。
ちなみに青森の土木専門家に聞いたら、都市同士が直角三角形を作っているというよう話は聞いたことが無いと言っていました。もう神社の配置の分析はほぼ終わったかに思えたのですが、いやはや、というところに繋がってしまいました。

  • 2011年12月01日木
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都市が作る直角三角形

たとえば、松江-岡山-山口、松山-高知-高松、山口-宇和島-佐賀、名古屋-岐阜-神戸、福井-岐阜-大津などなど。一直線になるのもたくさん出来ます。大きく見たおおざっぱなものでは、東京-京都-広島-韓国の済州島。 

  • 2011年12月01日木
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アイルランド

直角三角形を作る都市というのは、日本の特殊性か、他の国にも同じような偶然的必然性で存在するのか調べてみました。中国・西安、イギリス・ロンドンと他の地方都市、フランスのパリ、そして古墳文明を持つアイルランド。アイルランドの都市も同じように直角三角形が出来ました。他の都市では見つかりません。で、アイルランドの古墳文明を調べてみました。日本の古墳文明と”うりふたつ”だそうです。これにはビックリ!!そしてアイルランドの方が遙かに古いと。まさか、小豆島の八幡さんからアイルランドまで飛ぶとは!夢の中の夢にも思わなかった!

  • 2011年12月01日木
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直角三角形

東北の都市を結ぶと数えるのが嫌になるぐらい出てきます。四国では13個出てきます。九州では宮崎市より北で7個出てきます。直角三角形は、幾何学的偶然が織りなす模様かも知れません。意味のある直角三角形か偶然の直角三角形か区別する必要がありますね。また直角三角形は、その場を浄化する力があるそうです。神社は近くの神社と直角三角形になっていることが多いのは、神道は浄めの文化だから。

  • 2011年12月04日日
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