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瀬戸内海で2番目に大きな島、「小豆島」 大和朝廷の建国以来、皇族との関りが深かったこの島を、現在から見つめ直し後世に語り継いで行きたい。
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  • 04/27/21:02

10.06.23:27

②小豆島唯一の八幡宮

池田亀山八幡宮。前記の富丘八幡神社より直線にて約3.6㌔に位置し、鉢伏山(城山)の麓にある。祭神は富丘八幡神社と同じく応神天皇・神功皇后・姫太神であり、内海/葺田八幡神社と異なる。縁起では924年石清水八幡宮より勧請とあるが、 敦実親王御領である、池田・尾水・草加部荘の八幡神社が石清水八幡宮領となった富丘八幡神社と同年勧請とはどうも考えにくい。
967年敦実親王の没後~1141年八条院御領となる間の174年間の資料が無いためハッキリとしない。 
敦実親王は宇多源氏の祖であり、子の源 雅信(左大臣)の娘、倫子は藤原道長の妻で987年道長は備前権守を兼務している。
池田町史などによると、池田荘地頭:須佐美氏は「北条の頃よりこの地に居住する」とあり、1221年頃と思われる。


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