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瀬戸内海で2番目に大きな島、「小豆島」 大和朝廷の建国以来、皇族との関りが深かったこの島を、現在から見つめ直し後世に語り継いで行きたい。
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  • 04/27/00:08

11.28.13:50

熊野信仰と小豆島

 修験道のあらましは、前項にて簡単に記述したが、実際のところ小豆島はどうだったかというと、
この小豆島は、鎌倉時代に修験道が盛んになったと歴史資料にはあるが、南北朝時代に統治していた、
「佐々木信胤」にも関係してくる。
この小豆島は「備前児島」に属しており、その「備前児島」が熊野神社の荘園であったことから、
熊野信仰が行われたと察しられる。
では、この小豆島が熊野系修験道(児島五流)の地であった事を、次号より記述していきたい。

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