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瀬戸内海で2番目に大きな島、「小豆島」 大和朝廷の建国以来、皇族との関りが深かったこの島を、現在から見つめ直し後世に語り継いで行きたい。
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  • 04/27/07:39

11.24.12:13

新熊野三山

 一言主の神の訴えにより、役小角は捕らえられた母を忍び自首して、
伊豆大島へ島流しにあった。
紀州熊野では、小角の五人の弟子(義学・義玄・義真・芳元・寿元)は難を避けるため、
ご神体と共に瀬戸内海を数年間漂流し、岡山県の児島に上陸し、新熊野三山を開く。
そして、児島五流として、尊龍院・太法院・建徳院・報徳院・伝法院が建立され、
現在では五流尊龍院だけが残っている。<天台密教系の総本山>

鎌倉時代には後鳥羽上皇の皇子、覚仁親王が新熊野検校に任命され、
承久の乱の罪に問われた頼仁親王も、この地に流された。
尊龍院の大増正は頼仁親王の血脈を受け継いでいる。

隣接して「熊野神社」もある。

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