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瀬戸内海で2番目に大きな島、「小豆島」 大和朝廷の建国以来、皇族との関りが深かったこの島を、現在から見つめ直し後世に語り継いで行きたい。
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05.05.09:54

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  • 05/05/09:54

04.21.11:04

小豆島太神宮

0413d22bjpeg 熊野信仰と小豆島に関するものを調べてみるが、その後あまり
発展せずにいました。
再度、原点に返ろうと思い「聖なる島」の抜粋部分を読んでいると…。
“小豆島最高峰「星ヶ城」に<小豆島皇太神宮>が江戸時代に鎮座していた。
「小豆島風土記」に西峯「阿豆記枳神社」と東峯「豊受皇太神宮」があり、
文化3年7月に再興した。・・・・”云々と続く。
その後に“東峯の五神座も星ヶ城より西六、七町歩のところより遷座した。
しかし、東峯「豊受皇太神宮」は元から鎮座していたもので五神座を合祀したものと
思われる。”と記述されていた。
ここで疑問!
①星ヶ城には、西峯「阿豆記枳神社」より前に東峯「豊受皇太神宮」があった。
②合祀した五神座は?
 これより次号へ

*写真は中山の熊野三社権現

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